カーテンコール 淀の刺客 ライスシャワー

競走馬には、距離適正というものがある。1200m前後の距離を得意とするスプリンター、1600m前後を得意とするマイラー3000mを越える長距離を得意とするステイヤー
日本の競馬界もレースの距離体系の見直しがなされ、以前のようなオールラウンダーを求める傾向は薄れ、専門性が重視されるようになってきた。
その適正を左右する最大の要因が血統であるが、スピード競馬全盛の近年の競馬においては、優秀なステイヤーを生産しようという動きはあまり見られなくなった。
純然たるステイヤーとして恐るべき強さ強烈な印象を残したライスシャワーは、稀有な存在となりつつある。
淀(京都競馬場)の舞台で、歴史的名馬2度も破ったが故に、不本意にもヒール役扱いされた彼は、自らの力で主役の座をつかみ取った。
そして、淀に散った…。

出典:JRA

遅咲きの大器 ~静かなる登場

430㎏程の小柄おとなしい馬であったライスシャワーは、デビュー当時はほとんど注目されることのない馬であった。主戦騎手を努めた的場※1でさえ、4歳(現3歳)の秋を迎える頃までライスシャワーの才能に気付かなかったという。

※1 的場騎手は、馬の能力を見抜くことには定評がある。エルコンドルパサー(後に仏GⅠサンクルー大賞典優勝凱旋門賞2着)を断腸の思いで手放し、グラスワンダー(故障が響き苦戦もあった)を選んだ際にも、周囲の様々な批判にさらされたが、春のグランプリでグラスワンダースペシャルウィーク完封したことで、自分の選択は間違っていなかったことを証明してみせた。

ライスシャワーが、その大器の片鱗を見せたのがダービーである。
18頭中の16番人気と戦前は全く相手にされなかったが、見事ミホノブルボン(無敗の2冠馬)の2着に食い込んだ。連勝複式で29,850円という高配当を見ればフロックと取らていたことは容易に想像できるが、レース内容を見れば、それが実力であったことが分かる。
最後の直線で追い上げを図ったライスシャワーは、一度はマヤノペトリュースにかわされたものの、再び差し返すという根性持久力を見せた。その走りを見た関係者は、さして期待もしていなかった馬がダービーで2着に入ったという喜びよりも、ライスシャワーステイヤーとしての資質に並々ならぬ物を感じ始めていた。
もともと、折り紙つきのステイヤー血統であるリアルシャダイを父に持つライスシャワー(母の父マルゼンスキー)は、血統だけならブルボンを完封していた。

夏を順調に越したライスシャワーミホノブルボンは、菊花賞トライアルの京都新聞杯で再び対戦した。春の頃と違い有力馬として注目されたライスシャワーは、またもブルボンにねじ伏せられたものの、ダービーで4馬身あった差は、1馬身半にまで縮まっていた
そして待ちに待った菊花賞、堂々の2番人気に支持された。
レースは、ブルボンと同じ逃げ馬キョウエイボーガンの強引な逃げで始まった。淡々とレースは進み、最後の直線へ。先頭に立ったのはやはりミホノブルボン、シンボリルドルフ以来、史上2頭目の無敗の三冠馬へ向けて騎手の小島がムチを振るう。
しかし、偉大な夢に向かってひた走る彼を初めて追い越していく影があった。今までの借りを一気に返すように、今度は並ぶ間もなくかわして行ったのがライスシャワーであった。
3分5秒0、レコードでの完勝であった。
新しいヒーローの誕生・・・であったはずだが、翌日の新聞は「3冠の夢散る」「3冠を阻止」といった記事ばかりだった。血統の壁を乗り越え、猛トレーニングでここまで上りつめてきたブルボンが3冠を逃したことへの同情の方が強く、彼は、明らかに敵役となってしまったのである。

淀の刺客

稀代の快速馬ミホノブルボンを破り、ステイヤーとしての資質を開花させたライスシャワーは、翌年、春の天皇賞に挑んだ。しかしそこには、またしても偉大な敵が待ち構えていた
名手武豊を背に、史上初の春の天皇賞3連覇を目指すメジロマックイーンである。
日経賞を圧勝して臨んだライスシャワーではあったが、数々のGⅠを征し史上最強のステイヤーと評されたマックイーンが相手では、勝算は薄かった。
陣営は、小柄なライスシャワーを究極の状態に仕上げた。(日経賞よりも12kgも馬体が減っていた。)しかし、周囲の予想とは逆に、ライスシャワーはマックイーンをレコードで完封してしまう。
歓喜に沸きあがる関係者・・・、だが、翌日の新聞にはまたしても「3連覇ならず」「記録ストッパー」などの見出しばかりが躍っていた。
歴史に名を残す名馬たちを次々に破った長距離の怪物ライスシャワーは、常に敵役でしかなかった。菊花賞天皇賞と、いずれも京都競馬場で名馬たちの夢を阻んだライスシャワーは、いつしか「淀の刺客」と呼ばれるようになっていた。
しかし実際には、故障のため菊花賞を最後に引退したミホノブルボンにとって、このライスシャワーの勝利は、古馬との対戦を果たしえなかった彼の強さを改めて証明してくれる形となったのである。

プライド

天皇賞後、休養をはさみ、今度こそ押しも押されぬ主役の座に向けて新たなスタートを切ったライスシャワーであったが、復帰初戦のオールカマーこそ3着に留まったものの、その後は掲示板に載る事すらできなかった。
翌年、日経賞で久々の2着に入り、復活の足掛かりをつかんだかに思われたが、レース後に骨折が判明し連覇を目指す天皇賞に出走することはできなかった。
9ヶ月に及ぶ休養の後、有馬記念に出走したライスシャワーは、3冠馬ナリタブライアン女傑ヒシアマゾンに次ぐ3着に食い込み自力を見せた。
しかし、その後も掲示板を飾ることはできず、「もう限界だ」そんな声が聞かれるようになった。

そんな中、2度目の天皇賞・春に挑んだ。しかし、馬場状態は重、直線での瞬発力が武器のライスシャワーにとっては、厳しい状況だった。
鞍上の的場は、いちかばちかの賭けに出る。3コーナー手前から先頭に立ちロングスパートをかけた。この馬場では瞬発力が殺されると見て、ライスシャワーの持久力とプライドに賭けたのだ。「ここは淀の3200mだ。お前より強い馬はいない。」そう言い聞かせるようにムチを入れた。
調教師の飯塚は「仕掛けが早すぎる・・・」思わずそうつぶやき天を仰いだ。
しかし、直線を向いてもライスシャワーの勢いは衰えなかった。外から猛然と突っ込んでくるステージチャンプの追撃をハナ差抑えて、先頭でゴールに飛び込んだ
翌日の新聞は「奇跡の復活」とライスシャワーを称えた。長年の敵役が、ついに主役となった瞬間であった。

淀に散る

天皇賞2度目の勝利で、名馬の仲間入りをしたライスシャワーにとって、どうしても欲しいタイトルが中距離GⅠのタイトルであった。ステイヤーとしては不動の地位を確立しているものの、スピード競馬全盛の現代において、3000m以上でしかGⅠ勝ちのないライスシャワーは、馬産地にとってあまり魅力のある馬ではなかった。
そんなライスシャワーに、またとないチャンスが巡ってくる。
天皇賞後に行われる春のグランプリ宝塚記念(2200m)は、本来、阪神競馬場が舞台であるが、阪神大震災の影響で、この年は京都競馬場で行われることになったのである。復活を果たし波に乗る今、3度のGⅠ勝ちを収めた京都競馬場で行われる中距離GⅠに出走できる幸運・・・、
「勝利の女神はライスシャワーに微笑みかけている。」運命と考えてしまうほど、順調に思えた。
しかしそれは、あまりにも皮肉な運命だった・・・。

悲劇はレース終盤に訪れた・・・。
3コーナー過ぎ、鞍上の的場が放りとばされライスシャワーが崩れ落ちた・・・。
故障発生。テレビの画面を通してでさえ、その故障が致命傷であろうことは、すぐに理解できた。左第一指関節解放脱臼による予後不良
彼は静かに短い生涯を終えた。
奇跡の復活から、わずか1ヶ月余り後の悲劇だった。
淀に咲き、淀に散ったライスシャワー・・・。
敵役という不遇を生きた彼は、その小さな体で自らの運命を振りほどこうと必死に走った。
しかしそのことが、見る者にステイヤーとしての強烈な印象を与えることとなった。
それゆえに、悲運が待ち受ける最後の舞台、宝塚記念へと吸い込まれるように向かっていってしまったのかもしれない。

京都競馬場には、ライスシャワーの功績を称え、慰霊碑が建てられている。
最後に強烈な光を放ち去っていった一等星ライスシャワー・・・。
彼は、伝説という形で永遠の命を得た。もしかすると、時代がステイヤーを欲しなくなったことを知って、敢えてオールラウンダーたることを拒んだのだろうか・・・。
いや、そんなものは我々の身勝手なセンチメンタリズムに過ぎない。

時代の価値観が足早に移り変わっていく現代、時代に媚びて生きるうち、自分を見失ってしまう者も少なくない。敵役になろうが、種牡馬としての価値を失おうが、ステイヤーとしての自分を貫いたライスシャワー・・・。不器用なまでの彼の生き方に、どこか惹かれてしまうのは、「自分にプライドを持って生きる」ことの難しさと憧れを彼に映し出してしまうからなのかもしれない。

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