歴史裏話 悲劇の英雄:源 義経 Part1

※ 3回シリーズで、源 義経の人物像とエピソード(謎)をご紹介します。
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悲劇の英雄 義経

NHK大河ドラマ「義経」

平安時代末期、圧倒的な勢力を誇った「おごる平家」を倒し、奇跡的な復活を遂げた源氏
その最大の功労者で、鎌倉幕府を開いた立役者の一人、源義経
「一ノ谷合戦」鵯越(ひよどりごえ)の逆落としと言われるような奇襲戦法。
嵐を突いて、むしろ嵐の波に乗って敵を追って行くという「屋島合戦」での鬼神のような行動。
彼はその天才的な戦いぶりで世の中を驚かせ続け、一躍、時代のヒーローとなりました。

しかし、そのあまりの強さは、信頼関係にあった兄 頼朝にとって脅威となり、また、その人気が嫉妬心をもあおり、ついには頼朝に追われる身になってしまいます。
最後には、頼朝の再三の圧力に屈した奥州 藤原泰衡の軍勢に攻められ、衣川の館で自害しますが、その悲劇的な最期が、かえって彼の人気を永遠のものとし、「義経不死伝説」(詳しくは次の記事で)を生むことになります。
波乱万丈な生涯を歩んだ義経は、室町時代にはアイドルとしての座を揺るぎないものにし、今日までその座を守り続けています。

天狗に育てられた義経ついに脱走!

小説「義経記」によると、「少年時代の義経は鞍馬山の天狗に武芸の稽古をつけられた」とされています。
この天狗とは、おそらく復活を願う源氏の残党であったと思われています。
そして16歳のとき、義経は鞍馬寺から脱走し、奥州の雄、藤原氏をたより、数年後、頼朝の挙兵に呼応して歴史の表舞台に登場します。

義経は本当に美男子?

五条大橋での弁慶と牛若丸

いろいろな物語で演じられる義経は、常に颯爽とした色男に描かれています(NHK大河ドラマではジャニーズの滝沢くんが演じました)。
母の常盤御前は美貌で知られることからも想像はできますが、「平家物語」によると、色白であったが背は低く、反っ歯であったとのことです。
ただ、体は、とてつもなく身軽だったようです。

義経がまだ牛若丸と名乗っていた当時、京都の五条の橋のたもとで、大男の豪傑 武蔵坊弁慶をその妙技で降参させ家来にした話は有名ですが、彼の身軽さは、「屋島の戦い」「八艘飛び」の逸話からもうかがえます。
平家方の猛将、能登守教経のあまりの凄まじさに、逃げる義経は味方の船に飛び移りました。
教経は舟で再び追いますが、その都度ひらりと身をひるがえし、八艘も飛び移って難を逃れたといいます。

同時に小柄でやや非力であったことも同じ「屋島の戦い」「弓流し」のエピソードから計り知れます。
義経は海戦中、誤って弓を水中に落としてしまい、それを乗馬を泳がせながら懸命に拾おうとします。
平家方の軍兵はチャンスとばかり、一斉に攻撃を仕掛けました。
ようやく拾い上げ渚に戻った義経に、
「たかが弓ぐらいで命を落とす気ですか。」と家臣が諫めると
「もっともだ…。しかし、俺は見てのとおりの小兵。そのため腕力に乏しい。弓が敵に渡ったとき、『源氏の大将はこんな張りの弱い弓しか引けないのか』嘲笑されるのは無念であるので、危険を承知で拾ってきた」
と笑いながら話したといいます。
どんなスーパースターにも、弱点はあるのですね。

次の記事:歴史の謎 悲劇の英雄:源義経 Part2「義経の謎」(3回シリーズ)はこちらから

源平の戦いで、一度だけ両軍が沸き立った瞬間

屋島での海上戦が続くある日の夕暮れ、平家方から小舟が一艘漕ぎ出てきました。
見ると棹の先に扇がはさんであり、女官が「この的を射てみよ」というのです。

そこで義経は、飛ぶ鳥三羽に二羽は射落とすと言われた弓の名手、那須与一(なすのよいち)にその役を命じました。

沖には平家の軍船が並び、陸には源氏の将兵が馬を並べて見守っています。
与一は、しくじれば腹を切る覚悟で波打ち際に馬を進めました。
波に揺られる的を前にしばし瞑想し、意を決して放った鏑矢(かぶらや)は、見事に扇を射落としました。
その瞬間、静寂が喝采の渦へと代わったといいます。

武士の宿命として戦わねばならなかった両軍の兵ですが、ただ一度、ともに沸き立った瞬間でした。
与一の快挙は、彼の名を後世まで残しただけでなく、悲劇の多い源平争乱の中で、一服の清涼剤となったのかも知れません。

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