幕末に日本にやってきた、ある有名な外国人を、当時の日本人が描いた肖像画ですが、誰だかわかりますか?
正解は、ペリーです。有名な下の写真を見ればわかるとおり、全く似ていません!
でも、3枚の肖像画に共通するのは、天狗のように鼻が高く、目つきは恐ろしく、パンチパーマ(アフロ?)で、髭を生やした、いかにも怖そうな、あるいは不気味な印象を受けるというところでしょうか。
この肖像画から、黒船やペリーに対するイメージと当時の人々の気持ちを垣間見ることができます。
黒船来航の衝撃
1853年、浦賀沖に現れた4隻の巨大な黒船に人々は驚き、「城が動くようだ」などと形容しました。黒船はどれくらいの大きさだったのでしょうか?
当時の日本の最大の船「千石船」(せんごくぶね)と、黒船「サスケハナ号」の大きさを比較してみると、千石船の排水量(船全体の重さに等しい)は推定200t、サスケハナの排水量は3,824tですので、千石船の約19倍になります。
当時の人々が黒船を見て驚き、慌てふためいたのも無理はないですね。
ちなみに、船体は防腐・防水のためタールで黒く塗られており一見、鉄製に見えますが、全て木製です。
さらに、ペリー艦隊の大砲は4隻合計で63門。江戸湾の入口には100門に及ぶ大砲が配備されていたものの、ペリー艦隊の大砲に匹敵する威力を持つ大砲は20門程度で、射程距離もペリー艦隊の半分以下でした。
圧倒的な武力差を見せつけられた幕府がビビって、交渉で弱腰になってしまったのもうなずけますね。
幕府はペリーのパフォーマンスにビビった!
日本に開国を迫ったのはペリーが最初と思われていますが、実は、ペリー以前にもロシアやフランス、イギリスの黒船が度々来航していました。
しかし、いずれも幕府の厚い壁に阻まれ、交渉は失敗に終わっていました。
これに対しペリーは、帆を使用せず、狭い浦賀水道を船体の両側にある水車のような車輪を蒸気機関で回して自由自在に航行するパフォーマンスで圧倒し、「蒸気艦の機動力」と「艦載砲の威力」を背景にした巧みな交渉で、初めて日本を開国させることに成功しました。
ペリーの『日本遠征記』によると、2度の来航で100発以上の空砲を祝砲・礼砲・号砲の名目で撃っており、日本側史料には、これが大混乱を巻き起こしたことが記録されています。
ところが、実はこの外輪式蒸気軍艦は、すでにイギリスやフランスで発展していたスクリュー式蒸気軍艦に比べ、鈍重さが目立ち、時代遅れのものとなりつつあったようです。
日本の逆襲にペリーもビビった?
蒸気船で乗りつければ、日本人がビビるだろう!と思っていたようですが、実はビビったのは幕府の役人だけだったようです。
ものすごい数の庶民が海岸につめかけたり、小舟に乗り興味深々に見物にきたりしたため、艦上からその光景を見た、ペリーはショックを受けたそうです。
幕府の役人も、ビビッてばかりではなかったようです。
アメリカ人より体格が劣ることを実感した幕府は、アメリカに献上品を贈る際、その運搬係に力士を動員しました。その体型と怪力に、アメリカ人たちは非常に驚き、「モンスター」「相撲レスラー」と呼んだそうです。
また、会食に出された日本食の中に「タケノコの煮物」がありましたが、アメリカ側に出されたものは生育しきった竹だったため硬くて食べられませんでしたが、日本人は平気で食べている(日本側のものは柔らかい若竹)に驚き、「日本人はどうしてこんな硬いものが食べられるのか」と不思議がったそうです。
ビビってばかりではいられない、侍のプライドが起こしたイタズラ。ささやかな抵抗ですが、何だかかわいらしく感じてしまいますね。
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