一頭の馬にはたくさんの人々が関わっている。牧場の生産者、育生者、馬主、調教師、厩務員、騎手‥‥。その馬を取り巻く人の数だけドラマがある。
中でも、ミホノブルボンと彼を取り巻く人達のドラマはあまりに感動的で、競馬には他のギャンブルにはない何かがある事を物語っている。

繁栄の影に ~小さな牧場
日本国内だけでも、毎年1万頭近いサラブレッド(競走馬)が誕生するが、そのほとんどは北海道の牧場で生まれる。北海道の日高から浦河周辺にかけての牧場銀座と呼ばれる一帯には、たくさんの牧場が集まっており、近年では、社台ファームに代表されるような生産・育成を兼ねた大型の牧場も増えている。
また、このところの競馬人気の高騰は日本競馬界に潤いと変革をもたらし、世界的な良血を持つ高額な種牡馬や繁殖牝馬が、次々と輸入されるようになった。
しかし、光ある所には必ず影がつきまとう‥‥。
多くの名馬を抱え観光客で賑わう牧場銀座から少し離れた門別には、牧場の存続すら危ぶまれる名もない小さな牧場がある。資金力に物を言わせ超良血の種牡馬を輸入し、次々に活躍馬を輩出する巨大牧場とは対照的に、半農半牧の生活を強いられ、馬の餌代にも困るほどの小さな牧場、それが原口牧場である。
原口牧場は、原口さん夫妻だけで営む小さな小さな牧場で、わずかに所有する5頭の繁殖牝馬の中にも目立った血統を持つ馬はなく、牧場を営む傍らで農業をして生計を立てていた。というよりは、農業収入で何とか牧場を維持しているような状態だった。
その牧場に、いつも1頭だけで寂しそうにたたずむ年老いた牝馬がいた。彼女はカツミエコーといい片目の見えない障害を背負っていた。そのため、他の馬からもいじめられ、いつも群れからはぐれて独りぼっちだった。
場長の原口さんも、そんな彼女をいつも気に掛けていた。
しかし、せっかく高いお金をかけて種付けしても不受胎が続き、繁殖牝馬としての役目を果たせない彼女は、いつしか高額な餌代だけがかかる牧場のお荷物になっていた(一頭の馬にかかる餌代は月20万円を超える)。
家族のことを考え、原口さんは、やむなくカツミエコーの殺処分を決める。
しかし「あんなかわいそうな馬を殺さないで」と泣いてすがる奥さんの姿に、「今度受胎しなかったら処分する」という条件付きで、もう一度だけカツミエコーに種付けをする事にした。
しかし、半農半牧の原口牧場に、受胎するかどうかも分からない馬のために、高い種付け料を支払う余裕があるはずはなく、種付けの相手には種付け料わずか20万円のマグニチュードという馬を選んだ(一流種牡馬の種付け料は1,000万円を超える)。
ようやく受胎したカツミエコーは、翌平成元年の春、一頭の栗毛の馬を産んだ。この馬が、後に競馬界の常識を覆し、韋駄天のごとくターフを駆け抜けた快速馬、ミホノブルボンである。
しかし、彼もまた障害を持つ母の影響で他の馬からのいじめに遭い、この母仔は、いつも群れから離れて牧場の隅でひっそりと暮らしていた。
運命の出会い ~壊し屋と呼ばれた男
そんなある日、一人の男が原口牧場を訪れる。馬主に頼まれ、安くていい馬(もともと無理な話なのだが‥‥)を探しにきた戸山為夫調教師である。
戸山調教師は、独特の競馬観のもと、管理馬を坂路(坂道)で鍛えるという方法を採っていた。調教師として目立った実績もない彼の厩舎にやってくる馬は、ほとんどが血統的魅力もない安い馬ばかりであった。そのため、彼は鍛えに鍛えぬく事で、血統の壁を打ち破ろうと考えていた。
しかし、元来繊細な生きものであるサラブレッドにとって、坂路トレーニングは苛酷を極め、故障馬が続出した。いつしか戸山氏は、競馬関係者の間から“栗東の壊し屋”の汚名をきせられるようになっていた。
それでも彼は自分のやり方を変えることはなかった。食肉となる運命を持って生まれてきたような安馬達を救うには、それが唯一の方法であると信じて疑わなかったからである(走るためだけに生まれてきたサラブレッドもレースで勝ち星を挙げられない場合、食肉として処分されてしまう事が多い)。
そんな彼の目にとまったブルボンは、彼と共に北海道を後にし、滋賀の栗東トレーニングセンターへと旅立った。
栗東入りしたブルボンを待っていたのは、苛酷な坂路トレーニングだった。

ブルボンが栗東でトレーニングを始めてしばらくした頃、その動きに戸山調教師の目は釘づけになる。坂路を3回も上ると、普通の馬はバテバテになる。ブルボンも例外ではなかったが、彼はバテながらもまだ上ろうとする意欲を見せていた。
他馬とは明らかに違うその様子に、並々ならぬ資質を感じ取った戸山氏は、ブルボンに坂路1日5回のスパルタ調教を課す事にした。
「壊れるのが先か、パワーを身につけるのが先か」
これはひとつの賭けであった。
しかし、どんなハードトレーニングにも、ブルボンが音を上げる事はなかった。
彼は戸山氏の読みばかりか、競走馬の常識をもはるかに超越した、恐るべき根性の持ち主だった。
これは、もともとはブルボンの素質を見込んでの賭けであったが、猛調教に必死に耐えるブルボンの姿を見るうち、その賭けはいつしか戸山氏自身の一世一代の賭けにもなっていた。
彼には、時間がなかった…
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