住吉輝紗良(スキー女子モーグル)
フリースタイルスキー女子モーグルの住吉輝紗良(すみよし・きさら)。
決勝1回目で敗退(2回目に進めず)後のインタビューには、オリンピック選手の計り知れない苦悩と重圧が現れていました。
「なんか思ったより点は出なかったんですけど、今日攻めて滑ると決めていて。攻めて滑らないと、なんか…(涙)。今日は、本当に後悔ないように攻めて滑れて良かったなと思います。 私、なんか…、うまく滑れても何も楽しくなくて…。なんのために生きてればいいかわからなくて…。本当に、もうずっと、今日のために滑ってる…。 でも今日、スタート立ったとき、なんか4・5年ぶりにすごい楽しくて…。本当に今日滑れて良かったです。本当にすごい地元返ったときもたくさんの旗があったり、皆さん温かくて、応援していただけて、本当にうれしくて…。ありがとうございますと伝えたいです。」
陸上競技でも、800m、1500mでインターハイ(全国高校総体)に出場するなど、多彩な才能で活躍してきた彼女でも、これほどの重圧に苦しめられていたことを知りました。
いろんなものを犠牲にして、どれほど練習して、どんなに苦しい思いを乗り越えて、ここまで来たか…。
本当にお疲れさまでした。
佐藤幸椰(スキージャンプ混合団体)
「ジャンプは理不尽なスポーツだ…。だからおもしろい!」
風向きなど様々な条件に左右される難しい競技を、レジェンド葛西は、こう表現しました。
しかし、こんな事態は、誰一人予想しなかったでしょう。
スキージャンプ混合団体、日本の1番手 高梨沙羅は、103mの会心の大ジャンプを見せ、歓喜に沸く中、スーツの規定違反による失格…。
2番手で飛んだ佐藤幸椰のインタビューが心を打ちました。
「勝負しての結果なので、こういうことがあっても不思議ではない。勝負しての結果ですし、沙羅ちゃんを責めないでほしい。 でも…、今日だけ、神様を嫌いになりました」。
ネイサン・チェン(フィギュアスケート)
ショートプログラムで、世界最高得点を更新しトップに立ったネイサン・チェン(フリーでも1位で金メダル獲得)は、想定外のトラブルで8位(最終順位は4位)となった羽生結弦に最大の敬意を表し、こう述べました。
「彼が2度オリンピックチャンピオンになっているのは、彼だからゆえだと思います。結果がどうあれ、彼はこれからも常に真のフィギュアスケートの象徴であり続けるでしょうし、最も偉大なスケーターの1人です。何があっても、彼の立場は誰にも奪えないものです。」
2019年の世界選手権で、2位の羽生に22点差をつけて優勝したときも、彼はこう語っています。
「結弦が真のレジェンドであり、革命を起こした人。彼がレベルを引き上げ、進化を導いた。僕が何をやろうとも、彼が今まで成し遂げてきたことを奪い取ることはできない。彼からもっと学びたい。」
ネイサン・チェンは、2018年‐2021年の世界選手権3連覇(2020は中止)、2017年-2019年グランプリファイナル3連覇と、ここ数年、圧倒的な強さを誇り、直接対決でも5勝4敗と羽生を上回っています。
それでも、羽生への最上級の敬意を払い続けるのは、羽生の真の強さを知るが故であると同時に、ネイサンと羽生、2人の人柄を表しています。
ネイサンは、超名門イエール大学に在学し、超ハイレベルな文武両道を果たしているスーパーマン。
「選手として失敗しても次のチャンスがあるけれど、勉強に失敗すると次のチャンスはない。その意味で大学のほうがプレッシャーが大きいかもしれません」
と語るほど、膨大な勉強量をこなすため、大会中も合間を見て勉強する姿が見られる努力家です。
羽生も、早稲田大学人間科学部(通信教育課程 eスクール)を卒業しており、中学・高校時代の成績も極めて優秀で文武両道だったようです。
ネイサンが、羽生を心から尊敬してやまないのは、伝説のスケーターとしてばかりでなく、常に挑戦を続ける人としての生き方が、自分の理想に重なるからなのかもしれません。
羽生結弦(フィギュアスケート)
北京五輪で史上初の「4回転アクセル」が認定された羽生結弦。
五輪2連覇をはじめ、2020年2月四大陸フィギュアスケート選手権の優勝で男子史上初の「スーパースラム」を達成するなど、まさに偉大なる伝説の人ですが、国際スケート連盟が新設した「ISUスケーティング・アワード」で初代「最優秀選手賞」に輝きました。
全て英語でこたえた受賞インタビューには、超スーパースターの孤独と苦悩が伺えました。
「ファンの目と声は、全てプレッシャーになります。例えそれが単なる練習だったとしても、私は常にプレッシャーを感じています。正直なところ、時にそれはキツいし、自分が何かに閉じ込められていると感じることもあります。 でも、そのプレッシャーが、私をより強くします。もし、誰からも何も期待されないとしたら…、考えるとゾッとします。なぜなら、その期待度こそ、私が達成して満足したいと思っているレベルだからです。もちろん、常に100%の結果をお届けできるわけではありません。でも、みなさんの期待には120%で応えようと努力しています。だから、できなかったときは失望するし成功した時の達成感は、言葉では言い表せないほどの素晴らしいものです。」
期待、重圧、栄光、けが、不安…、様々なものを正面から受け止め、挑戦をやめないスーパースター羽生結弦。
成功の可能性は低いと分かっていても、「自分のやりたいことをやる」そう心に決め、コーチも付けずにオリンピックに挑みました。
「正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないけど。確かにショート(SP)からうまくいかないこともいっぱいあったし、むしろ、うまくいかなかったことしかなかったけど、一生懸命、頑張った。全部出し切ったというのが正直な気持ちです。」
「自分の生き方は自分で決める」そんな彼の生き様を…、誰も代わることのできない真の英雄の姿を…、しっかりと目に焼き付けました。
クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)が国際スケート連盟(ISU)公認大会で初めて認定されたフリーから4日。記者会見の席で
「今まで4回転半を跳びたいと目指していた理由は、僕の心の中にいる9歳の自分がいて、あいつが『跳べ!』ってずっと言ってた。ずっと『お前、下手くそだな』て言われながら練習していて。今回のアクセルはほめてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか。9歳の時と同じフォーム。ちょっと大きくなっただけで、一緒に跳んだ。それが自分らしいし、何より4回転半を探すにおいて技術的にたどり着いたのはあの時のアクセル。 ずっと壁を登りたいと思っていて、いろいろなきっかけを作ってもらって、登ってこれたんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の僕自身。最後にそいつの手を取って一緒に登ったなという感触がありました。」
スノーボードハーフパイプで、金メダルに輝いた平野歩夢も、
「4年前に比べると気持ちも考え方も変わった。小さい頃に戻った。」
と語っています。
極限まで突き詰めた先に見えたもの。少年の頃に抱いた夢、あの時の自分…。
それが、競技者として、人としての原点なのかもしれません。
お疲れ様でした。今は、ゆっくり体と心を休めてください。
やがて来る、大いなる飛躍のために…。
ロコ・ソラーレとイブ・ミュアヘッド(カーリング)
日本中をとりこにした、ロコ・ソラーレの笑顔とチームワーク。
テレビで応援していると、いつも聞こえてくる明るい声。
「ナイス〜!」「上手だね〜!」
仲間のショットのねらいが外れたときも、
「どうなるんだ~?」「これはこれで!」「新しい技~」
スキップの藤沢五月が、ミスショットが続き苦しんでいるのを見ると、
「大丈夫!さっちゃん!」 「スイープ使っていいよ~!掃くよ~~~!!」 「最悪4点取られてもいい!ハハハッ」
常にポジティブで笑顔にあふれる、仲間思いなチームは、日本中に元気と優しさを届けてくれました。
予選リーグ最終戦、スイスに敗れ、オリンピックが終わったと思ったメンバーは、初めてみんなで泣きました。
その直後、スウェーデンの勝利により、準決勝進出を果たしたと分かったとき、その涙は、最高のうれし涙に代わりました。
どんなときも笑顔を絶やさず、励まし合いながら、楽しそうにプレーする彼女たち。
オリンピックの舞台であることを忘れさせるほど楽しげな彼女たちの姿は、見ている人の心を温かくしてくれるだけでなく、大切なことを教えてくれました。
彼女たちの決勝の相手、イギリスのエース、ミュアヘッドにもドラマがありました。
イギリスは、カーリング発祥の地。
4年前の平昌五輪では、3位決定戦で日本と対戦し、ミュアヘッドがラストショットを失敗しメダルを逃しました。
英国内で批判に晒され精神的にも追い詰められ、自問自答を繰り返した日々…。
「信じられないほど辛かった。あのショットは今でも私を悩ませている」
と語っています。
4年の時を超え、ケガや様々な困難を乗り越え北京五輪出場を果たしたときには、
「またあの状況がくるかもしれないけど、それがカーリングでしょ。 また、あんな最後の一投が私のところに来ることを楽しみにしてます。」
と笑顔で話しました。
4年越しの苦悩を乗り越え、悲願の金メダルを手にしたセレモニーでは、国歌を聞きながら目を真っ赤にはらして感動を噛み締めました。
会見に臨んだミュアヘッドは、「4年前のこと?これで忘れられるかもしれない。」と言って笑みを浮かべました。
そして、ロコ・ソラーレに最大級の賛辞を贈りました。
「私はチーム日本が大好き。一緒に戦っていて本当に楽しいし、あんな風にアイスの上で笑顔を絶やさず、楽しんでプレーすることって、カーリングという競技にとっても素晴らしいことだと思う。」
この称賛に対して、日本のスキップ藤沢五月は、
「私がジュニアの世界選手権に出た時、2回とも優勝したのはチームミュアヘッドでした。すごく憧れの選手で。でも、こうやって続けてきて、同じ立場で戦えるくらいまでレベルが上がってきて、4年前は勝つことができた。そして悔しい思いも。 (英国とは)環境が似た立場で4年間を過ごしたと思っていて、ギリギリで勝ち上がることができて、決勝の舞台に立てた。思い入れのあるチームです。正直、決勝でやりたい試合ができなかったのは、自分自身、悔しいし。チームミュアヘッドにも申し訳ない。大好きなチームです。認め合ったチームと決勝で戦えて、すごく感謝したいと思います」
スポーツマンシップにあふれた、ロコ・ソラーレとカーリングは、オリンピックの意味を私たちに教えてくれました。
コメント